わたすの密かな楽しみは縄張り図で妄想を膨らませること。
たまにじーーーっとこういう縄張り図を眺めて
どう攻めるか、どう守るかを妄想しておる。

それの何が楽しいのかと言われるかもだが、
スマホゲームよりも相当楽しい。
正直、スマホゲームはすぐに飽きてしまう。
いや、もともとゲーマーでもあるので
本当におもしろいゲームは相当にやり込む方である。
しかし、スマホゲームは展開が貧困なのと
操作性に限界があるので、同じことを何度も繰り返させる。
そこがもうダメ。
CoDとか相当やりこんでいるので、そこそこやる男である。
ただし、凸スナは出来ない。
ちょっと話がズレたが、
こういう縄張り図はハマると楽しい。
まず目につくのは等高線ね。
この間隔が狭いということは急坂であるということ。
つまり、そこから攻め上るのは困難を極めるということになる。
この図でいうと左下にある馬場辺りは
周囲がかなり急坂であることがわかる。
となれば、尾根伝いに攻めるしかない。
それならば兵の損耗率が下がる。
尾根伝いに兵をのぼらせると
大抵は「堀切(ほりきり)」という障害物に出くわす。
堀切は土木工事で尾根を丸々掘削したものである。

ちょうど法面がU字型にえぐられているが、
これが堀切で、本来は左右に尾根が続いていたのである。
それをこうして抉り取ったというわけである。
つまり、尾根を攻め上がってきた敵兵が
堀切に出くわすと、一度その堀切を降りて登らないといけない。
これは結構な重労働でもあるし、
城中からも狙撃しやすいということで
戦国期の山城のデフォである。
この堀切をずずっと山の斜面に垂直に掘っていくと竪堀である。
竪堀の効果効能としては敵兵の横移動を妨げる狙いがある。
兵が横移動出来ないということは、
部隊として行動しづらいということでもあり、
遮蔽物がなければ味方からすれば的である。

上の図をみてみると「切岸(きりぎし)」というのがある。
これは人工的にほぼ垂直な急坂を作ったもの。
実際、福岡市内の某山城阯を取材で歩き回った時に
見事な切岸を発見したが、落ちたら登れないよな……というほどであった。
曲輪(くるわ)というのは、少し開けた台地で
大抵はそこに建造物などを建てていたというわけである。
近世の城では本丸、二の丸、三の丸というが、
戦国期の山城のことは、本曲輪、二の曲輪、三の曲輪と呼んでいたらしい。
もともと比高100m以上を山城というので、
ちょっとした物見櫓を立てれば結構遥か彼方まで視認できたハズ。
虎口(こぐち)とは、L字に造られた各曲輪の出入り口のこと。
出入り口を直線にしておくと敵の威力がそげないので、
上図のようにわざとL字型に切っておく。
すると、敵兵はまずドンと正面の壁にあたって
そこから上図でいえば右に折れて城内に侵入する。
この時、敵兵の側面から弓や鉄砲を射掛けるというわけである。
これを横矢掛りという。
上図には書かれてないが、
他にも馬出(うまだし)というのがある。

出入り口の防衛や出撃の拠点として準備されたもので、
戦国大名によっていろいろ特徴がある。
上図では丸馬出は徳川家と書かれているが、
それはもともと丸馬出が武田家の方法で
それを徳川家が導入したからである。
とまあ、こういう防衛のための築城術を駆使して
山城は作られているのである。
ちなみに、総石垣の城というのは、
ざっくり安土桃山時代の西国が中心である。
それでもまだ野面積みという方法がメイン。
よく観るような美しい切込み接ぎや打込接ぎなどは
豊臣政権末期から徳川政権にかけての手法。
これらを頭にいれて縄張り図を眺める。
まずは、谷あい深く兵を突っ込んでそこから斜面を登らせるか。
あるいは、緩やかな尾根伝いに兵を送り込むか。
こういうことを考えながらぜひ楽しんでほすぃ。
たまにじーーーっとこういう縄張り図を眺めて
どう攻めるか、どう守るかを妄想しておる。

それの何が楽しいのかと言われるかもだが、
スマホゲームよりも相当楽しい。
正直、スマホゲームはすぐに飽きてしまう。
いや、もともとゲーマーでもあるので
本当におもしろいゲームは相当にやり込む方である。
しかし、スマホゲームは展開が貧困なのと
操作性に限界があるので、同じことを何度も繰り返させる。
そこがもうダメ。
CoDとか相当やりこんでいるので、そこそこやる男である。
ただし、凸スナは出来ない。
ちょっと話がズレたが、
こういう縄張り図はハマると楽しい。
まず目につくのは等高線ね。
この間隔が狭いということは急坂であるということ。
つまり、そこから攻め上るのは困難を極めるということになる。
この図でいうと左下にある馬場辺りは
周囲がかなり急坂であることがわかる。
となれば、尾根伝いに攻めるしかない。
それならば兵の損耗率が下がる。
尾根伝いに兵をのぼらせると
大抵は「堀切(ほりきり)」という障害物に出くわす。
堀切は土木工事で尾根を丸々掘削したものである。

ちょうど法面がU字型にえぐられているが、
これが堀切で、本来は左右に尾根が続いていたのである。
それをこうして抉り取ったというわけである。
つまり、尾根を攻め上がってきた敵兵が
堀切に出くわすと、一度その堀切を降りて登らないといけない。
これは結構な重労働でもあるし、
城中からも狙撃しやすいということで
戦国期の山城のデフォである。
この堀切をずずっと山の斜面に垂直に掘っていくと竪堀である。
竪堀の効果効能としては敵兵の横移動を妨げる狙いがある。
兵が横移動出来ないということは、
部隊として行動しづらいということでもあり、
遮蔽物がなければ味方からすれば的である。

上の図をみてみると「切岸(きりぎし)」というのがある。
これは人工的にほぼ垂直な急坂を作ったもの。
実際、福岡市内の某山城阯を取材で歩き回った時に
見事な切岸を発見したが、落ちたら登れないよな……というほどであった。
曲輪(くるわ)というのは、少し開けた台地で
大抵はそこに建造物などを建てていたというわけである。
近世の城では本丸、二の丸、三の丸というが、
戦国期の山城のことは、本曲輪、二の曲輪、三の曲輪と呼んでいたらしい。
もともと比高100m以上を山城というので、
ちょっとした物見櫓を立てれば結構遥か彼方まで視認できたハズ。
虎口(こぐち)とは、L字に造られた各曲輪の出入り口のこと。
出入り口を直線にしておくと敵の威力がそげないので、
上図のようにわざとL字型に切っておく。
すると、敵兵はまずドンと正面の壁にあたって
そこから上図でいえば右に折れて城内に侵入する。
この時、敵兵の側面から弓や鉄砲を射掛けるというわけである。
これを横矢掛りという。
上図には書かれてないが、
他にも馬出(うまだし)というのがある。

出入り口の防衛や出撃の拠点として準備されたもので、
戦国大名によっていろいろ特徴がある。
上図では丸馬出は徳川家と書かれているが、
それはもともと丸馬出が武田家の方法で
それを徳川家が導入したからである。
とまあ、こういう防衛のための築城術を駆使して
山城は作られているのである。
ちなみに、総石垣の城というのは、
ざっくり安土桃山時代の西国が中心である。
それでもまだ野面積みという方法がメイン。
よく観るような美しい切込み接ぎや打込接ぎなどは
豊臣政権末期から徳川政権にかけての手法。
これらを頭にいれて縄張り図を眺める。
まずは、谷あい深く兵を突っ込んでそこから斜面を登らせるか。
あるいは、緩やかな尾根伝いに兵を送り込むか。
こういうことを考えながらぜひ楽しんでほすぃ。




















