読者の方から「あまとさんの主張はこれまでブログを読んできた私には理解できるのですが、それでも東出君はちょっと……。東出君を批判している人たちを人権屋と同一視して批判することで、要らぬ誤解が生まれませんか?」との声が寄せられました。私が気づかなかった視点をいただけて感謝しています。さすがです。
誤解を招くことは不本意ですので、もう少し丁寧に説明を加えておきましょう。
私個人の見解としては、人の色恋沙汰を第三者が批判しても仕方ないという価値観があります。感情論としては、人は自分の持つ規範に反した他者を批判したいところがあるのは理解しています。
しかし、私は東出君、杏さん、唐田さんを個人的にもまったく知らないので、彼らが何をしようがどうなろうが全く興味がありません。ですから、彼らの行為を批判する気持ちもないというのが心情です。
つまり、私の認識している情報世界に彼らは存在しないのです。普段からまったく興味がないからです。杏さんや唐田さんなども今回初めて知ったほどです。自分の認知している空間に存在しないものを批判できないというわけです。
▼▼▼
そして、正義マン等と揶揄したのは、現代社会の不寛容さが息苦しいと感じるからです。今回はたまたま東出君達が吊るし上げられていますが、揶揄している対象は、現代社会に蔓延している不寛容さです。この不寛容な状態は本当に異常だと私は感じています。
喫煙への全体主義的な弾圧、スメハラと称して高齢者の体臭を忌避する風潮、業務上のちょっとした指導でもパワハラ認定して社会全体で個人を叩く風潮、ちょっと小太りでもメタボ認定して医者にかからせる行為……こういう不寛容な社会が息苦しいと感じているのです。
人間は自分の考えに合わないものを排除しようとする『確証バイアス』を持っています。この確証バイアスによって情報が取捨されると、さらに思考や価値観は凝り固まっていきます。結果、感情的に気に入らないものは徹底して攻撃するという姿勢が生まれます。
こうした攻撃は、自分が安全地帯にいる時には激化します。さながら、左翼が皇室や安倍総理を攻撃する時と同じです。クイズ小西は絶対に反撃してこない相手に対して全力で攻撃します。それは相手が反撃してこないと分かっているからです。以下のように相手を間違うと途端に弱腰となります。
かつての共和制ローマ時代のローマ人は本当に寛容な民族でした。戦争で打ち負かした相手国の指導者を元老院に招き入れ、一緒に良い国家を作っていこうと国を大きくしていきました。これがシナなら国王から庶民に至るまで皆殺しです。しかし、ローマは寛容だったのです。負けた国の指導者を仲間に取り込み、その地の宗教(ユダヤ教など)も出来る限り尊重したのです。
しかし、現代日本はまさに社会主義のようです。お題目で寛容な社会と言う割には、本当の弱者やマイノリティには徹底して不寛容です。誰かが決めた基準がグローバル化という名の下で世界基準となり、その世界基準に反する行為は『敵対行為』とみなされて、社会から攻撃されるという息苦しさ。
こういう不寛容な息苦しい社会は不幸な社会です。『絶対に反撃して来ない他者を、安全地帯から正義の名の下に思う存分にいたぶる』行為を私は個人的には忌避するのです。
とはいえ、これを他の人に受け入れてもらおうとも思わないのです。私はそうした行為はしないと決めているだけです。
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もうひとつはショック・ドクトリンにいい加減に慣れましょうと思っています。グローバリストや各国政府が何かを隠したい場合、意図的に耳目を引きつける事件や事象を起こして、衆目を一点に集めるという手法を取ることがあります。これがショック・ドクトリンです。左翼の題目である『アベガー』というのは、単なる妄想ですが、ショック・ドクトリンという手法は厳然として存在するのです。
ワイドショーが繰り返し垂れ流すネタに飛びついていては、こういう手法にころりと騙されてしまいます。ですから、耳目を引きつけるような事象が発生した場合には、「ん? これはどういうことだ?」と。「誰が利益を得るのか?」というように思考することが大事です。ネタに過剰に反応して正義マンになっては彼らの思うつぼなのです。
以上が、昨日の私の本意です。ご指摘を受けたことでこうして丁寧に書くことができました。さすがだなあと感心すると共に感謝をしています。ありがとうございます!
もうひとつ……最近、ブログが少し攻撃的な感じがするという問い合わせがありましたが、それは意図的です。令和になって姿勢を変えたのです。というか、たぶん、私の中の武士DNAが覚醒を始めているようです。これまでは半分は調整型のプログラムも機能していたのですが、反日左翼のようなダメな連中はもうダメだと、見切りをつけたのもあるでしょう。武士は覚悟を決めた時には相手を斬り伏せて押し通るものです。おそらくそうした兆しなのかなと感じています。
幕末の時もそうでしたが、武士DNAの覚醒は全国的に起こっていると思います。おそらくここ数年でどんどんと武士が生まれてくるでしょう。きっとそれは不寛容な社会と無関係ではないかも知れません。

誤解を招くことは不本意ですので、もう少し丁寧に説明を加えておきましょう。
私個人の見解としては、人の色恋沙汰を第三者が批判しても仕方ないという価値観があります。感情論としては、人は自分の持つ規範に反した他者を批判したいところがあるのは理解しています。
しかし、私は東出君、杏さん、唐田さんを個人的にもまったく知らないので、彼らが何をしようがどうなろうが全く興味がありません。ですから、彼らの行為を批判する気持ちもないというのが心情です。
つまり、私の認識している情報世界に彼らは存在しないのです。普段からまったく興味がないからです。杏さんや唐田さんなども今回初めて知ったほどです。自分の認知している空間に存在しないものを批判できないというわけです。
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そして、正義マン等と揶揄したのは、現代社会の不寛容さが息苦しいと感じるからです。今回はたまたま東出君達が吊るし上げられていますが、揶揄している対象は、現代社会に蔓延している不寛容さです。この不寛容な状態は本当に異常だと私は感じています。
喫煙への全体主義的な弾圧、スメハラと称して高齢者の体臭を忌避する風潮、業務上のちょっとした指導でもパワハラ認定して社会全体で個人を叩く風潮、ちょっと小太りでもメタボ認定して医者にかからせる行為……こういう不寛容な社会が息苦しいと感じているのです。
人間は自分の考えに合わないものを排除しようとする『確証バイアス』を持っています。この確証バイアスによって情報が取捨されると、さらに思考や価値観は凝り固まっていきます。結果、感情的に気に入らないものは徹底して攻撃するという姿勢が生まれます。
こうした攻撃は、自分が安全地帯にいる時には激化します。さながら、左翼が皇室や安倍総理を攻撃する時と同じです。クイズ小西は絶対に反撃してこない相手に対して全力で攻撃します。それは相手が反撃してこないと分かっているからです。以下のように相手を間違うと途端に弱腰となります。
かつての共和制ローマ時代のローマ人は本当に寛容な民族でした。戦争で打ち負かした相手国の指導者を元老院に招き入れ、一緒に良い国家を作っていこうと国を大きくしていきました。これがシナなら国王から庶民に至るまで皆殺しです。しかし、ローマは寛容だったのです。負けた国の指導者を仲間に取り込み、その地の宗教(ユダヤ教など)も出来る限り尊重したのです。
しかし、現代日本はまさに社会主義のようです。お題目で寛容な社会と言う割には、本当の弱者やマイノリティには徹底して不寛容です。誰かが決めた基準がグローバル化という名の下で世界基準となり、その世界基準に反する行為は『敵対行為』とみなされて、社会から攻撃されるという息苦しさ。
こういう不寛容な息苦しい社会は不幸な社会です。『絶対に反撃して来ない他者を、安全地帯から正義の名の下に思う存分にいたぶる』行為を私は個人的には忌避するのです。
とはいえ、これを他の人に受け入れてもらおうとも思わないのです。私はそうした行為はしないと決めているだけです。
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もうひとつはショック・ドクトリンにいい加減に慣れましょうと思っています。グローバリストや各国政府が何かを隠したい場合、意図的に耳目を引きつける事件や事象を起こして、衆目を一点に集めるという手法を取ることがあります。これがショック・ドクトリンです。左翼の題目である『アベガー』というのは、単なる妄想ですが、ショック・ドクトリンという手法は厳然として存在するのです。
ワイドショーが繰り返し垂れ流すネタに飛びついていては、こういう手法にころりと騙されてしまいます。ですから、耳目を引きつけるような事象が発生した場合には、「ん? これはどういうことだ?」と。「誰が利益を得るのか?」というように思考することが大事です。ネタに過剰に反応して正義マンになっては彼らの思うつぼなのです。
以上が、昨日の私の本意です。ご指摘を受けたことでこうして丁寧に書くことができました。さすがだなあと感心すると共に感謝をしています。ありがとうございます!
もうひとつ……最近、ブログが少し攻撃的な感じがするという問い合わせがありましたが、それは意図的です。令和になって姿勢を変えたのです。というか、たぶん、私の中の武士DNAが覚醒を始めているようです。これまでは半分は調整型のプログラムも機能していたのですが、反日左翼のようなダメな連中はもうダメだと、見切りをつけたのもあるでしょう。武士は覚悟を決めた時には相手を斬り伏せて押し通るものです。おそらくそうした兆しなのかなと感じています。
幕末の時もそうでしたが、武士DNAの覚醒は全国的に起こっていると思います。おそらくここ数年でどんどんと武士が生まれてくるでしょう。きっとそれは不寛容な社会と無関係ではないかも知れません。






