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時間軸を通じて様々な出来事や歴史的なエピソードを綴る

天戸妄想歴史講座

崇徳院


 日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん……。これは崇徳院の呪詛の言葉ですが、なるほどなるほど……だからねえ。やはり、長い歴史を持つ日本ですから、アメリカなどにはない闇もまた深いものです。

 この辺りの保元平治の乱、さらに時代が進んで南北朝や観応の擾乱。敵味方が入り乱れるのでなかなかすぐには理解しづらいわけですが、とてもダイナミックで面白いところなので、ぜひいろいろ読んでみてください。


 保元平治の乱はちょうどこの辺り。大河では平清盛ですね。この作品、汚いとか見苦しいとかこき下ろされてましたが、私は好きでした。源平ってのはやはりロマンですね。

 


 鎌倉幕府滅亡から観応の擾乱を経て南北朝へと流れるこのタイムライン。この辺りも面白いのですが、大河ではこの太平記ですね。今に至るこの南北朝の分裂はこの時代から始まっています。こちらも胸アツですね。

 
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げんこー


 ひょんなことから辿り着いた謎サイト。

 
PayPayドームがある場所は呪われた地と言われていた?!
 https://0ccult.online/paypay%e3%83%89%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%81%8c%e3%81%82%e3%82%8b%e5%a0%b4%e6%89%80%e3%81%af%e5%91%aa%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%9c%b0%e3%81%a8%e8%a8%80%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f/



 まだあの辺りが海で、そのすぐ隣の漁港に仲の良い友人が住んでおったのですよ。その俺でも「知らんけど……」と思ったので、つい読んでみたw

 九州の海沿いは今から900年前の元寇でたくさんの人が亡くなった地域でもあります。

 特にこのあたりは、蒙古側に多数の死者が出た場所。嵐や戦で亡くなった兵士の霊がうろうろと徘徊する場所と言われていたんです。


 知らんし……。しかし、歴史に疎いとはこういうものか。激戦地は赤坂、警固、麁原(今の祖原)と内陸部なンだわ。防塁からのイメージ先行でノルマンディーな感じの激しい上陸作戦だけを想像したんだろうけどさ。

 死者多数が出たってんならもうこの辺りは至るところなンだわ。さらに言うなら、博多湾沿岸は弥生前期末から福岡大空襲と何度も焼かれてるンだわ。


 蒙古の船がドームで見えたとか初耳だけども、ガチなら見たい。インタビューしたい。蒙古の霊に突撃インタビューしたい。

 あまと:さーせん、あなた達は蒙古軍?

 霊:あ? そーだけど?

 あまと:ってことは、成仏してないってことでおけ?

 霊:なに? 俺、死んでねえよ藁

 あまと:ああ、はいはい

 霊:で、その軍船はどこの所属の軍船なの?


 適当に書いた雑な記事も多いですな。

キングダム


 最近はキングダムをアマプラで観てます。これ、周末期の戦国時代を経て秦の始皇帝が皇帝になるあたりの話ですね。まだ漢は出来ていませんが、漢民族へと繋がっていくオリジン的な要素があって面白いです。

 まあ、最初の2〜3話くらいまでは「ふわぁ……眠いね、こりゃ」って感じだったのですが、だんだんと面白くなってきますので最初だけ辛抱ね。

 

 

こういうシナの世界観

 小さな頃のシナはほんとまだこんな雰囲気が残っていたと思うんですよ。22歳の頃、上海に遊びに行ったことがありました。まだ高層ビルもなくて路地裏にいけばこんな雰囲気がそのまま残ってました。

 そのまま列車で蘇州にいって自転車でぶらぶらしていたらある家の前でタイヤがパンクしてしまいました。「アイヤー、これ困ったあるね」って感じでどうしようか考えていると、その家の娘さんが「どうした?」と声を掛けてきてくれました。

 身振り手振りでタイヤがパンクしたことを伝えると「こっちおいで」と野良自転車屋のところに連れていってくれまして、その自転車屋の親父に「この日本人の自転車のパンクを修理しなさいよ、あんた」と。親父は明らかに日本人とわかる私をみて吹っかけようとしたのですが、娘が「はあ?なにそれ、あんた。いつもの値段でやんなさいよ、ちょっと!」みたいな感じのやりとりがありました。

 もちろん、詳細な内容は分かりませんが、だいたいそんな感じのやりとり。で、渋々親父がタイヤを修理してくれたんですが、その娘さんは「よかったね!じゃあね!」とまた家に戻っていきました。

 私、中国共産党は大嫌い……いや日本共産党もw

 ですが、そういう体験があるので、まともなシナ人もいるんだって思ってますし、こういう義に厚いシナ人の世界観は大好きです。京劇のような音楽とともにアクションしていくなんてかっこいいですね。

 あ、もちろん、私はシナ人からいっぱい喰わされたこともあるので、まあいろんな人がいるってことですね。日本人もいろいろ、シナ人もいろいろ、アメリカ人もいろいろね。

 でも、シナはこの方向に進めばいいのにっていつも思うね。この方向こそが理想的なシナの姿だよなあと思ってしまうわけなのです。

 

 

宝暦治水事件

 動画で紹介したアレですが、宝暦治水事件といいます。手っ取り早くwikipediaで読んでおくと概要が頭に入るかと思います。

 このお手伝普請で薩摩藩が負担した金額は約40万両ほどといいますから、現在の金額にして320億円以くらいですかね。一分金がざっくり2万円、四分で一両=8万円ってところでしょうか。

 さらに「薩摩藩士にご馳走すんな」「薩摩藩士に草履なんかを安売りすんな」「工事現場の事務所の壁とかが壊れても修理すんな」「あと葬式も禁止な」と結構ヘビーな命令が幕府から出されていたようです。

 堤の方は出来たら幕府隠密に壊され、また出来たら壊されということで、嫌がらせも続いたものですから、薩摩藩士が抗議で切腹しています。しかし、抗議の切腹が知れると幕府からの仕返しが本藩に及ぶということで、なかったことにされたりとか……。


 江戸幕府には大岡忠相や勝麟太郎のように良い人材も豊富ですが、やはりそうでない連中もいたでしょうから、そういう遺恨が回り回って幕末維新に繋がっていったのかも知れませんね。

こ、これは……

 中国が仕掛けたキムチ論争を韓国国立ハンバッ大の孔錫亀コンソクグ教授(歴史学)は「単純な食べ物論争の枠を超えていると捉えるのが韓国側の立場。中国が2000年代に進めた『東北工程』の延長線上にある」と分析する。東北工程は、古代、朝鮮半島から中国東北部にかけてを支配した高句麗を独立国ではなく、中国の地方政権だったと中国史で位置付ける国家事業で、韓国側は猛反発してきた。
 孔教授は「中国には、北朝鮮情勢など北東アジアで起こる秩序変化に備える意図がある。今後も、専門的な歴史を超え、一般大衆に影響する文化面で攻勢をかける可能性がある」と指摘する。


 シナの言い分もわかりますが、実は……続きを読む

佐幕とかのはなし

 私がよく使う佐幕という言葉。これはいったいなんでしょうというご質問をいただきました。ネットで調べると、佐幕(さばく)とは、動乱の幕末期によく使われた言葉で、「幕府を補佐する」の意。 しばしば倒幕派と対比するために佐幕派とも呼ばれると書かれています。は補佐のことですから助けるとか支えるという意味を持つわけです。とまあ、ここまで辞書的な意味となりますが、これではつまらないのでちょっとひねりを加えていきましょう。

 佐幕の対義語があるとすると倒幕という感じでしょうか。幕府を支える反対側の人たちですから倒幕です。この倒幕という言葉は徳川治世を終了させることを意味しましたので、それに変わる統治機構を作らないといけません。それが明治政府だったわけです。

 ただ、ペリー来航の時に倒幕なんて機運があったかというとまだまだそんな時代ではありません。1853年のペリー来航から1868年の戊辰戦争まで15年ほどあります。この頃の幕府はまだまだ統治機構としても盤石でしたから、薩摩藩や土佐藩は佐幕派で幕府を助ける立場でしたし、長州藩ですら倒幕までは考えておらず尊皇攘夷という考え方で留まっておりました。

 ただ、この尊皇攘夷という思想がちょいと面倒でして……。文字だけを見れば皇を尊び夷を打ち払うという意味ですから当時の公家や武士階級から見れば胸がスカっとする思想です。しかし、当時は列強が虎視眈々と日本を狙っている状況であり、客観的に見れば尊皇攘夷自体は極めて実現困難なマニュフェストでもあるわけです。

 山本太郎氏がこんな公約を掲げていましたね。今でもそうなのかな。

①消費税廃止
②最低賃金1500円(政府補償付)
③奨学金徳政令
④公務員増
⑤一次産業戸別所得保障
⑥トンデモ法一括見直し
⑦辺野古基地建設中止
⑧原発即時廃止


 典型的なポピュリズム的な公約が並んでいます。実現不可能な公約を高らかと掲げることで迷蒙の大衆の感情を高揚させて、そのエネルギーで大衆を特定の方向に誘導していくわけですね。

 尊皇攘夷もこれと同じ構図であろうと思うのです。尊王攘夷運動のボリュームゾーンは下級武士です。つまり、食うや食わずの下級武士達は上級武士ほどに学問をしてないので、扇情されエンロールされやすい傾向があったかと思うのです。

 どこに誘導されるかというと、「夷狄打つべし!」「異国船、打ち払うべし!」という方向です。しかし、実際にそれをやると列強の反撃を食らって統治機構である徳川幕府の信用が失われ、資金的に疲弊し、そして治安が悪化していきます。それが狙いだったのです。

 尊皇攘夷を仕掛けた連中は、そのように無学な下級武士達を上手に操って日本国内を混乱に陥れ、幕府の統治機構を揺さぶろうとしたわけです。

 そして、揺さぶりが効いて来たところで、次は倒幕という思想にすり替えていきます。まるで既得権益層がグローバリズムや共産主義、そしてSDGsにすり替わっていくのと同じ構図ですね。

 こういう奔流のような流れに対して、東北諸藩は奥羽越列藩同盟を結成して抵抗したり、あるいは会津藩などは少年兵なども繰り出して徹底抗戦をして幕府側に立って戦いました。
 
 いずれにせよ、日本から武士を無くしたのは痛かったと個人的には思いますな。個人的な妄想としては、徳川幕府がそのまま政治を行っていくことができれば、また違った歴史になっていただろうにと思うのです。

 とまあ、佐幕、尊皇攘夷、尊王倒幕というような思想は、グローバリズムや共産主義と同じく皮をかぶっているので、その奥にある本質を見抜くことが肝要であろうと思うわけであります。吉田松陰の尊皇攘夷と世良修蔵の尊皇攘夷は違うということです。長州の尊皇、薩摩の尊皇、土佐の尊王、福岡藩の尊王はそれぞれ中身が違うということですね。
 
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 この私の記事も参考にしてね。
 立場の移り変わり

町のちがい

 どこの都府県もかつてはどこかの藩だったわけですが、この藩の影響力というのはやはり今でもあるのではないかと思うのです。藩が廃止されて県が置かれた最初は301県もあったというから、やっぱりちょっと多い感じもしますな。

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 よそでも似たような話があるかと思いますが、福岡県もかつてはざっくり4藩に分かれておりました。黒田家の福岡藩、小笠原家の小倉藩、有馬家の久留米藩、立花家の柳川藩。もちろん、これ以外にも小藩や支藩があったんですが割愛。


 藩制期には人の往来は今ほど自由ではありませんから、文化や言葉に独自性が生まれやすかったわけですね。ですから、藩が違えば方言も気性も違うという感じだったわけです。


 んでもって、福岡は修羅の国などと揶揄されますが、あれはやはり北九州市のイメージでしょうか。ま、私も幼少期には北九州市に住んでいた事もあるのですが、やはりちょっと喧嘩っぱやいイメージがありましたね。小学生の頃も喧嘩してましたし。


 福岡地方の方は太古からの港町である博多を抱えていますから、来訪者に対して寛容でウェルカムな気性があります。もちろん、「コーヒーのまはる?」という言葉が「はよ、帰れ」という意味でもないのでご安心ください。ま、私も居酒屋などで隣に他県の方が座ると思わず話しかけてしまいます。


 もちろん、城下町以外にも宿場町ベースの都市もあります。そうなるとまた気性が変化してきますから面白いところです。東海道の宿場町などもまさにそれですね。町設計の思想が根本から異なるのでそれが街づくりに反映され、人にも影響を与えているのでしょうね。そういうことで、ごきげんよう!

 


 

こむろ


 こむろさんの件ですが、質問とかもありましてね。どうなのかということなのですが……。まあ、なんですか……。もちろん、見解は持っていますが、ちょっとねえ……。ってことで、限りなく薄めてパスワード記事にしておきましょうw

スクリーンショット 2021-04-22 15.14.46続きを読む

桜田門外

 私はもともと佐幕派なので桜田門外の変に対してはネガティブな立場です。井伊大老は茶人としても著名でありましたし、何よりも人物でありましたからね。大事な時期に惜しい人物を亡くしたということで不逞浪士への評価はあまり高くないのです、私の中では……。

 


 井伊大老はその著書である「茶湯一会集」の中で、一期一会についてこのように書かれています。

 一期一会
 そもそも茶の湯の交会は一期一会といひて、たとへ幾度おなし主客交会するとも今日の会にふたたびかえざる事を思へハ 実に我一世一度の会也 去るニより 主人ハ万事に心を配り 聊かも粗末なきよう親切実意を尽くし 客にも此会ニ又逢ひかたき事を弁へ 主客の趣向何一つも愚かならぬを感心し 実意を以って交るへき也 是を一期一会といふ



 さらには独坐観念としてこう書かれています。

  独座観念  

 主客とも余情残心を催し 退出の挨拶終われハ 客も露地を出るニ高聲ニは咄さす静ニあとを炉前ニ独座して 今暫く御咄も有るへきニ もはや何方(いずかた)まて可被参哉 今日一期一会済みてふたたひかえらさる事を観念し 或いハ独服も致す事 是一会極意の習いなり 此時寂寞として打ち語らふものとてハ 釜一口のみニシて外ニ物なし 誠ニ自得せされハ 至りかたき境界なり



 彦根藩主であり、かつ幕府大老という立場にあってもこのような深い思索に入れるというのはやはり相応に人物なのでしょう。

 ということで、動乱期に惜しい人物を亡くしたということで、水戸浪士達は道を誤ったと今でも思っておるのです。

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ファクトチェック
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