自国の軍事力を備えておくことが他国からの侵略抑止に繋がるという
 このとても簡単なことが分からない一般人が多いわけですが、
 そういう方におすすめなのが墨攻という映画です。
 
 意図的に軍事力を下げて革命を容易ならしめんとする反日左翼は
 ちょっとここではおいておきますが、
 それ以外で感情的に軍事に反応しちゃう純粋無垢な方には
 ぜひともご覧いただきたいわけです。

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 墨攻はもともと日本の作家である酒見賢一さんによる作品の名前です。
 これが漫画になったり映画になったりしたわけですね。


 墨子という思想家が支那にいまして。
 墨守する……という言葉にわずかに痕跡を残していますが、
 もともとは当時の君主たちに大きな影響力を与えた思想家です。


 彼の思想を墨家十論というのですが、
 その代表が「非攻・兼愛」というものです。
 自らは攻めないという非攻。
 そして、思いやりの橋を架けるという兼愛。


 今の中共に読ませてあげたい言葉もたくさん残されています。
 たとえば……


 ある男が、他人の果樹園に忍び込んでそこの桃や李の実を盗んだとすると、みんなはそれを聞いて非難するだろう。警察は、その男を逮捕して罰するのは間違いない。なぜかというと、他人に損害を与えて自分の利益をはかることが好ましくないからだ。


 まして、他人の犬や鶏や豚・子豚を盗むということになると、それは他人の果樹園に忍び込んで桃や李の実を盗むよりも悪い。なぜかというと、他人に与える損害が桃などよりも大きいからだ。他人に損害を与えることがより大きければ、その薄情ぶりも、それだけひどいわけなので、その罪もますます重くなるというわけだ。


(中略)


 さらに、また罪もない人を殺してその着物をはぎとったり、矛や刀剣を奪い取るということになると、それは他人のものを盗み出すよりもさらにひどい。なぜかというと、他人に損害を与えることがさらに大きいからである。


(中略)


 さて、こんなことは、世界中の知識人なら誰でも、非難し、よくないことだというだろう。ところが、いま他国を攻撃するという大きな不正義を働くものについては、それを非難することを知らず、かえってそれを追従してほめ称えて正義であるといっている。これでは、正義と不正義との区別をわきまえているといえるだろうか。(後略)



 こういうところから、墨子は非攻という考えを君主たちに勧めたわけです。
 すると当時の君主たちは、こちらから攻めないのはいいが、
 相手が攻めてくるんだから仕方ないだろうと。
 その時はどうするんだと墨子に質問するわけです。


 この時、墨子は「我ら墨家が貴国をサポートする」と言うわけです。
 墨子には弟子がたくさんいたわけですが、
 求められれば、その弟子たちが軍事顧問としていろんな国へ派遣されました。
 この墨家が強いのなんの……。
 彼らがサポートして街や城が陥落したのはひとつかふたつ。
 それ以外はすべて守り通したという凄まじさだったようです。


 こうした精強無比な墨家が後ろ盾についていれば
 侵略を考える国も簡単に他国を攻めることをためらいます。
 よって、平和を実現することが可能となったわけです。


 下の動画は北京語版の墨攻です。
 順番に見ていけばOKなのですが、日本語じゃないんですよねえ。
 できれば、日本語のDVDをおすすめしますが、
 一応、あらすじを書いておくと……


  梁の国は、趙の国から攻められようとしていた。梁城攻城戦を任されたのは、猛将巷淹中(こうえんちゅう)。趙軍が目前に迫っているにも関わらず、梁の国の王である梁渓は、酒食や女に溺れ、現実から逃避する。民草は貧しく困窮するが、梁の高官達も梁適を諌めようともせずに梁渓と一緒に酒食に溺れる。


 梁渓の息子である皇太子の梁適は、血気にはやって「趙軍なぞ恐れるに足らず!打ってでるべし」と献策する。しかし、司徒や宦官ら高官は口々に「戦わず降伏すべきです。そうすれば命は助かります」と進言。梁の王である梁渓は「では降伏して命乞いをしよう」と決定する。


 いよいよ開城という時、墨家から派遣されてきたという墨者、革離(かくり)が梁城に現れる。墨家はチームで守城をサポートするのが基本だが、現れたのは革離ひとり。梁渓はいぶかしみながらも革離の「守城援助する」との申し出を受ける。たった一人で趙の大軍から梁城を守ることになった革離。そこから物語はスタート。


 腐れ切った為政者、阿諛追従する側近、売国活動に専念する宦官らによって、国はもう亡国寸前。国が滅べば哭くのは民。革離は墨家で学んださまざまな方法で寄せてくる趙軍を撃退するわけです。それから先はぜひ映画をどうぞ。